こんばんは、みりんです。
私には3歳の娘(ぴー)がいるのですが、日に日に言語表現の幅が増え、会話が楽しい毎日です。
そんな娘、現在認可保育園に通っているのですが、一人特別仲の良い友だちがいます。
誕生日も家も偶然近いことが判明し、本人同士なんとなく波長も合うようで、担任の先生の報告によると園では9割方その友達と遊んでいる様子。保育園からの帰り道の会話でも、ほぼ毎日名前が出てきます。
くっつきすぎて、園では先生たちからも意識的に離されているほど…(笑)
基本的には、夫婦とも娘の交友関係に口出しする立場ではないと考えているので、保育園側の対応も含め、そのまま見守るようにしています。
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最近では特に園での出来事を詳細に話してくれるようになり、その友達と日々どんな会話をしているのかもだんだん分かるように。
ある日、ドライヤーで娘の髪を乾かしながら好きな色の話をしていると、娘が急に思い出したように突然、真顔でこんなことを言い出しました。
「○○ちゃんが、ぴーのバッジ、ピンクじゃなくて紫だっていうんだよ」
「ぴーはピンクが好きなのにさ…」
「ぴー、かなしかったんだよ(ふくれ面)」
と。
話を聞くと、どうやら保育園のイベントで一人一色カラーを割り当てられたらしく、娘がたまたまピンク(紫)、その友達は白だったそうです。
二人ともピンク色が好きなので、娘のカラーを巡り意見が対立した模様。
自分に割り当てられた色がピンクだと信じたい娘
VS
ピンクだと認めたくない娘の友達
という構図です。
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なんだか随分人間らしくなったなあ、言葉で表現ができるようになったな、と思ったのが第一印象。
今まで「自分が何をして楽しかった」、という自己表現だけだったものが、
「誰が何をして、自分はこう思った」という状況説明に加え、「楽しかった」以外の自分の所感まで述べられるようになったとは…
娘には、
「むらさきはぴーの大好きなエルサ(ディズニープリンセス)の色だね」
「(ピンクも紫も)どっちも可愛い色だね」
と伝えたところ、「そっか。…やったね!」と言って満足気な様子でした。
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実は、娘が友達と意見を対立させている様子を捉えたのはこの時が初めてでした。
一人っ子ということもあり、「自分が正しい」という主張のぶつけあいが平行線になる経験や、それに伴い不快感や憤りを感じる機会が皆無に等しい娘。
親としては、コミュニケーションの場において、いかなるときでも同調圧力を背景にせず、決めつけず、ジャッジせず、自分の心に従ってリアクションを決めてほしい、という気持ちがあります。
(もっとも、これは自分自身にもたまに投げかけていることです。)
今回の場合、友だちに言われてカチンときた先に、「悲しかった」という気持ちと言葉を表出させたことは、我が子ながら健康な心に育っているな…と思いました。
これがもし、娘の方も「いや、ピンクだよ(主張返し)」となっていたら。
はたまた、「どっちでもいいでしょ(ジャッジ)」と言い放っていたら…
討論・喧嘩になっていた可能性は十分にあると思います。
そうなると、貴重な楽しい時間をいたずらに奪うだけでなく、双方にメリットが無いように感じます。
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他の人から見たら些細なことが喧嘩に発展する、というケースは子ども同士の関わりに限ったことではなく、仕事でもプライベートでも誰でも一度は経験したことがあるのでは。
例えば私…
異動前の部署では、お恥ずかしい話、チーム内で話しているうちによく双方がキレてブレーキがきかなくなり、話し合いが打ち切られるということが数ヶ月に一度起こっていました(笑)
これが、振り返るとやはり全く生産性がないのです。
せっかく時間を調整して集まったのに何も決まらないし、お互い疲れ切ってしまっただけ。
本当は言い合いなんてしたくないし、ただ必要事項の決定をしたかっただけなのに上手くいかなかった…というケースです。
相手が言っていることをそのまま受け止め、対立意識を持たず自分の意見もありのまま言う。
この単純だけど重要なワンステップが欠けていることでコミュニケーションが成立しないことは多々あると日々認識しています。
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その上で、今回の娘のもやもや案件は、社会性を育む第一歩だったかもしれないな、と。
きっとこれから、親の知らないところでこうやって色んなケースを経験していくのでしょう。
喜びや楽しさと同様に、悲しさや上手くいかなさ、コミュニケーションの難しさもどんどん経験して糧にしていって欲しいな、と思う今日この頃です。
日だまりに愛されて 悲しみもうんと知ってくれ
うつくしい営みを どうかたくさん知ってくれ
あなたは太陽 / Bonobos
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