こんばんは、みりんです。
今日はお気に入りの書籍について。
タイトルは「急に具合が悪くなる」。哲学者・宮野真生子さん、人類学者・磯野真穂さんの間で取り交わされた書簡を(おそらく)原文ママにまとめた本。
プレゼントで頂いてから今でもずっと、私にとって特別な本です。気軽に読める内容ではないし(少なくとも私にとっては)、心が静かなときを選んで幾分か気合をいれて読むような感じですが、今でも折に触れて何度も読み返しています。
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この本との出合いは2020年夏。数年ぶりにお会いした学生時代の軽音サークルの先輩が、その日の翌日、LINEで
「先日あなたと話してピンときたのでぜひ共有したいと思った。哲学と文化人類学の話です。」
といって、Amazonで書籍を購入して私宅に配送してくれたのです。
(この先輩は国文学科出身で、自他ともに認める本の虫。現在は国語教師として働いています。学生時代、今以上に人間関係を築くのが苦手だった私にいつも優しくしてくれ、サークルでは一緒にコピーバンドを何度か組んでもらったり、サークル外でも個人的にお世話になっていました。今でもずっとファンだし、大好きな人です。)
これが、すごくよかった。珍しく一気読みしてしまったくらい。
「生きる」ということを極めて言語化すると、この本になるんじゃないかな?と。大袈裟だけど、生きている内にこんなにも魂のこもった一通一通を読むことが出来て幸運でした。
渦巻いて、外からも中からも溢れてきて、まるで宇宙のうごきのような。
時が歪んでぎゅっと詰まったところに、のみ込まれそうな、あるいは、気を抜けばすぐに弾き飛ばされそうな。読んでいる間はずっとそんな気分でした。
アインシュタインが相対性理論を編み出したように、哲学者もまた、それぞれの感性や世界を守る(というのか、感性が許さない、そうしないと気持ちが悪い、すっきりしないという感覚?)ために、混沌とした世界に対して理性で挑んでいるのだと思うんですが
それらに触れさせるたびいつも、やさしいきもちになったり、なんだかほっとして涙が出るような、そんな感覚になります。この本もそう。
これが心の琴線にふれる、ということかもしれません。そういう出来事は、後から振り返ると、偶然のふりをして必然であることがほとんどだなあと思います。普段自分の無意識化にあって、本当は気になるのに気にしないふりをしている部分をそっとやさしく思い出させてくれるような。
磯野さんの良き傾聴があって、宮野さんが哲学者であり続けるから、本を開けばいつだって私に原風景を見せてくれます。そのたびいつも泣いています(笑)
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本を読み終わった後日、先輩に感想を伝えたところ、
「先日会って会話したとき、あなたとの言葉のやりとりがおもしろくて、それがこの往復書簡みたいだなって思ったんだよね。」
とのこと。
仕事の話、最近のニュース、おすすめの化粧下地の話、一緒に食べたアイス、見送った黄昏時、そして数日後にこの本のプレゼント。偶然のような、必然のような。
やっぱり先輩のファンだー!と思ったのでした(笑)
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